「隣の芝生が青く見える」ときは

日常的に、写真家の方や写真を撮り続けている方のサイトやブログをよく見ている。

良質な作品を観ることはもちろんなのだが、機材や撮影方法へのこだわりや、普段の生活の中でその人が何をどう考えてシャッターを切るかなどメンタル的な要素にいたるまで、とても参考になるし良い刺激を受けることができる。

 

「iPhoneだって立派なカメラだ」という人もいれば、「iPhoneでは役不足」という考えの人もいたりする。そこに普遍的な正解など存在せず、それぞれの人にそれぞれの正解があって良いのだろう。このように、自分には持ち合わせていない考え方やこだわりに触れることが、たまらなく楽しいのだ。

 

ところが困ったことに、時おり、それを読んだ瞬間からすぐに、僕が今まで信じて続けてきたことを全部放り出して真似したくなるような、強いインパクトを放つ作品や考え方を持った人がいる。僕が持ち合わせている自信や誇りが大きく揺れ動き、この人と同じことをすれば、自分もきっと、もっと高いところへ行けるんじゃないかと錯覚してしまうのだ。

まさに「隣の芝生が青く見える」瞬間。これはいけない、と思う。

 

もちろん、その人から学ぶべきことがあると考えるし、参考にすべきことは大いに参考としたいと思う。ただ、自分が続けてきたことや目指すものを、そう簡単に変えるべきではないというのが僕のスタイルかなとも思う。

 

このように、ともすると自己否定にもなりかねない事態に陥ったとき、最近では次の3つの考え方を引っ張りだすようにしている。

 

■その人と同じことをすれば、その人になってしまう。それは僕ではない。

僕が目指しているのは、僕にしか表現できない、オリジナルでオンリーワンの写真作品。誰かの真似をすれば、それはもう僕の作品ではなくなってしまう。僕には僕だけのゴールがあり、そこを目指すべきなのだ。

 

■その人と同じことをしても、きっと、その人のレベルにすら到達できない。

長い時間をかけて自分なりの強固なスタイルを築いてきたからこそ、その人は僕の心に入り込むことができたのだろう。今さら僕がその人と同じことをしても、この差を埋められることは永久にないのだ。

 

■自分が続けてきたことには、続けてきたなりの意味と価値と強みがある。

僕は僕なりの方法で、試行錯誤を繰り返しながら写真を撮り続けてきた。このプロセスを安易に否定せず、むしろ誇りに思うべき。続けてきたからこそ得られたものはまさに、今の、そして未来の、僕の財産なのだ。

 

ここ1〜2年は、写真において目立った成果が得られていないのだけれど、だからといって進むべき道を簡単に変えるべきじゃないなと思う。「今は我慢の季節」と割りきって、地道にやっていくしかないのかなと。