通信障害の午後は

この日、ソフトバンクで通信障害が発生したことにより、あらゆるエリアのユーザーたちはてんてこ舞い。SNSでは悲鳴や怒号が飛び交うお祭り状態となった。

 

僕も見事にその煽りを食らった。出張のためにバスや電車などで移動していたのだけど、いつのまにか僕のiPhoneにも「圏外」と表示されていて血の気が引いた。

 

よりによって出張の時に…

ケータイ料金払ってなかったっけ…

でもソフトバンクショップへ寄る時間はない…

これって僕のiPhoneだけの問題かな…

 

移動中のためPCなどで状況を確認することができず、壮絶なモヤモヤはやがて吐き気すら呼び起こした。

 

ふと途中の駅で、ほんの少しだけ通信が回復した瞬間があった。チャンスとばかりにツイッターを立ち上げトレンドをチェック。ああ、やっぱり…!僕はここでやっと、ソフトバンクで大規模な通信障害が起きていることを知った。

問題が自分の側にないことが分かり、またソフトバンクユーザーみんなが僕と同じ状態にあることに不思議な心強さを得た僕の足取りは、見違えるように軽くなった。

その後数時間、通信ができない状態が続いた。この移動中、iPhoneを使ってメールの返信や資料の読み込みをしようと予定したのにそれらは一切叶わず、ただ音楽を聴きながら、窓の外の景色を眺めることしかできなかった。

 

 

…この時間が、とても心地よかった。

 

 

文字どおり突然陥った大変な状況でありながら、逆にそれが幸いして、そういえば最近まったくなかった、心からリラックスできる時間を手にすることができた。

 

思えばiPhoneを手にしてからというもの、僕は常にオンラインな状態にあったと思う。日中はもちろん、寝るときでさえ枕元にiPhoneをしっかりと置き、電話やメールやらの受信が常にできる状態を続けてきた。この突然のオフライン状態は、僕の日常がいかに不自然で、いかに歪んでいたかを思い知る、ひとつの良い機会になったと思う。

 

そして特に大きな悩みなど存在せず、ただ毎日気ままに生きていた学生時代のそれを思い出す。窓の外をぼんやりと眺めながら、好きな音楽に全身を委ねていた時代。底抜けに自由で、可能性は無限にあり、未来は明るいものだと信じて疑わなかった時代。あの頃の自分に、今の自分を誇ることができるかな。そんなセンチメンタルな気持ちすら湧き上がってきた。

 

やがて夜になり、いつの間にか通信障害は解消されていた。僕は現実の中にいて、今ここにある仕事に向き合う。

 

通信障害によって得られた心豊かな空白は、思い出のように消え去っていた。