過度な期待は本質を見失う

先日のこと。

その日はひとりで夕飯を済ます必要があったため、せっかくだからと贅沢にも外食を企てた。

 

どこへ行こうかと、いろいろ考えを巡らせた結果、自宅から自転車で15分くらいの場所にある超有名ラーメン店のことを思い出した。

いつ見てもものすごい行列が作られているラーメン店。テレビで紹介されたこともあるし、カップラーメンが売られていたりするレベルだから、いつか行ってみたいと思いながら、行列の凄まじさになかなか足が向かなかったのだ。

 

でも今日は平日。夕方の開店時間である17時のちょっと前に行けば、そこまでひどい行列に並ぶこともないだろう。よし行ってみよう。

自転車をこぎながら、僕の頭の中の妄想もどんどん加速していった。いつか行ってみたかったラーメン店、あれだけの人気なのだからきっと今までに食べたこともない、信じられないくらい美味しいラーメンにありつけるに違いない。今での人生や価値観が覆されるかもしれない。もう他のラーメン屋さんへ行けないカラダになってしまったらどうしよう…

 

店に到着すると、開店を待つ人はわずか5人ほど。すんなりと店に入り、すんなりとお目当てのラーメンにありつけた。しかし。

 

あれ、美味しいけど、驚くほどの美味しさではない…

人生が、価値観がひっくり返るような美味しさではない…

あれ、あれ…

 

帰りの自転車をこぎながら、僕は激しい後悔の念にかられた。

「期待しすぎてしまった…」

 

そう、僕は行ってみたかった人気ラーメン店へ行くと決めたことで、ほとんど我を忘れ、お店の味に対して必要以上の、過度とも言える期待を勝手に抱いてしまったのだ。

そのため、フラットな気持ちでのぞめば充分に楽しめる味を、まったく楽しめなくなってしまった。

 

史上最高を期待すれば、期待に沿えるものに出会うことはほぼ不可能だろう。

それは食事に限らず、仕事においても、趣味においても、恋愛においても同じだ。

過剰な期待は物事の本質を歪め、本来のクオリティよりも低い評価を自分のなかに生み出してしまう。

 

まったくもって残念で、なんと悲しいことだろうか。