「輸送」という言葉に対する一方的な違和感

電鉄会社やバス会社などでは、乗客を運ぶことを「輸送」という言葉で表現している。

「秋の輸送強化月間」と言ってみたり、「お客様の安全な輸送のために…」といったアナウンスがあったりする。

 

僕はけっこう前から、この「輸送」という言葉に強い違和感を感じている。かなり一方的な意見なのだけれど「輸送」という言葉を聞くたびに「おれたちゃ荷物か?」などと思ってしまう。

 

なんとなくだけれど「輸送」という言葉には、血の通ってないドライな響きがあるように思う。「乗客とは運ぶべきモノ」であり「目的地に運びさえすれば何の問題もない」といった、どこか乗客を「モノ扱い」しているようなニュアンスを感じてしまうのだ。

 

もちろん、辞書で「輸送」を紐解くと “車や船・航空機などで人や貨物を運ぶこと。” とある。「人を運ぶこと」という意味も「輸送」には含まれているのだから、日本語の使い方としては何ら間違ってはいない。ただ屁理屈をこねるならば、「人や貨物を」とあるように、人も貨物も「運ぶべきモノ」として同等に括られているのは気になるし、少なくとも僕は、自分の車に人を乗せるとき、その人を「輸送する」とは微塵も思っていないし、そのような表現は使ったことがない。

 

こうしていろいろ考えてみると、交通機関が使っている「輸送」という言葉の最大の弱点は、そこにホスピタリティのニュアンスがまったく含まれていない、ということになるのかもしれない。

仮にも人が人を乗せて走るわけなのだから、単にA地点からB地点へ運べば良い、というわけでもないだろう。きっとそこには「安全に」とか「快適に」とか「楽しく」などといったサービス精神や、人としての血の通った意味合いが含まれているべきだと思う。

 

ではどうするべきか。

僕の勝手な意見としては、自分の車に人を乗せるときのように「送り迎え」という言葉を展開させながら使うべきだと思う。「秋の送迎強化月間」「お客様を安全にお送りするために…」という具合に。これだけで、乗客と交通機関との距離がぐっと縮まるような気がする。少なくとも、僕が一方的に感じている違和感は解消される。

 

交通機関が使っている、その言葉尻をとらえて勝手なことをつらつらと書いたが、言葉尻をとらえてネガティブな発想を大いに展開させるのが消費者だと思う。

交通機関のみなさん、ぜひご一考を。