過去の自分からだって、学ぶことはたくさんある。

近ごろ、仕事の合間を縫って、ハードディスクに保存している過去に撮った写真たちを見直している。

過去と言っても、そんなに大昔の話をしているわけではなく、僕がNikon D700を手に入れた2009年11月から、Carl ZeissのPlanar T* 1.4/50 ZF.2を手に入れる2014年12月までの約5年間の話。この間、僕は銀座の中古屋さんで安く買った50mm単焦点レンズをメインとして写真を撮り続けてきた。

 

普通、自分の過去の遺物を目の当りにすると、ある種の恥ずかしさがこみ上げてくるものだ。小学校の卒業文集なんか、恥ずかしすぎて見ていられない。その感情はきっと、自らの成長の証であるのだと思う。

 

ところが過去の写真たちを見る僕には、その「ある種の恥ずかしさ」は一切こみ上げてこない。むしろ「けっこう良い写真多いじゃん」「おれもそれなりにがんばってたんだな」とさえ思う。そして撮影日が新しくなるにつれ、写真が持つ勢いや洗練度が増しているようにも感じられたりする。うん、悪くないじゃないか、と。

そして休みのたびにカメラを担いで、昼夜を問わず、ひとり意気揚々と駆けずり回っていた、あの頃のことを思い出す。今よりいろんなことへの怖さを知らなかったためか、とにかく目に止まったものはなんでもかんでもカメラに収めるという純粋な勢いがあったように思う。

 

これって、僕があの頃から成長してないということ?

思えば被写体は今とまったく変わりがないし、そもそもの写真を撮る動機や、シャッターを切るときの気持ちに関しても、今も昔も同じものを持ち続けている。きっと、成長してないのではなく、追い求めているものが変わっていないんだ。そうだ、そうに違いない。そう全力で思いたい。

 

ところでこの過去写真たち、当然のことながらハードディスクに収めたままでは、誰かに観てもらうことも、陽に当たることもなく、いつかこの世からひっそりと消滅するだけだなあ、なんて思い。

きっと誰の役にも、何の役にも立たないだろうけど、このサイトにほそぼそと掲載していくことに決めた。

 

未来は過去のなかにある。過去に学ぶことで、未来はより良くなる。そんな願いをこめて。