被写体にピントを合わせる必要なんてない。
今年の1月にCarl Zeiss Planar T* 1.4/50 ZF.2を購入してからというもの、他のレンズには一切目もくれず、ひたすらこのコで写真を撮り続けている。
描写力の高さや、ボケの美しさが、僕にとっては新鮮で、楽しくて。
買ったばかりの頃は、実験の意味も込めて、絞りを開放してシビアなピント合わせを楽しむように撮りまくっていた。
花の中心にピントを合わせ、他は徹底的にボカす。
突起物の先端にピントを合わせ、他は徹底的にボカす。
ありとあらゆるものをボカしまくり、ピントが外れないように、細心の注意を払いながら撮りまくったところで、ふと我に返った。
「なんか、つまんねーな…」
僕が写真で表現したいと思っているのは、もちろん花の中心や突起物の先端などではない。
それなのにその時の僕ときたら、さして重要でもないものに、とにかくピントを合わせることにエネルギーを注いでいた。さらにエネルギーの量に対して、写真のクオリティはまったく追い付いていない。そんな状態に、ほとほと疲れ果ててしまったのだ。
言うまでもなく、良い写真、人の心を動かす写真とは、被写体にピントがしっかりと合っている写真を指すのではない。
あまたの巨匠たちの作品には、どこにもピントが合っていないにもかかわらず、それどころかブレにブレまくっているにもかかわらず、観た瞬間、心を鷲掴みにして離さないものがある。
思うに、ピントを合わせるべきは「モノ」ではなく「コト」なのだ。
被写体そのモノではなく、自分が表現したいコト、伝えたいコト、思ったコト、感じたコト、にピントが合っていればいい。
数値で表せるものではない、本来的な意味で規定や基準など存在しない、それがアートなのだから。
そして僕のCarl Zeiss Planar T* 1.4/50 ZF.2は、絞り開放の状態で風景を切り取ることはなくなった。