マイクの「カラオケ持ち」が気になりすぎて。
さまざまなセミナーや講演会などに参加することが、まれにある。
読めば数時間かかる書籍の情報、あるいはそれ以上の学びが得られるし、読書では得られない登壇者の熱意や真摯な姿勢から大きな刺激を受けることもできる。登壇者が蓄積した知識や経験が短時間のうちに吸収できる有難い場なので、できれば参加の機会を増やしていきたいなと思う。
だけど、まれに、ごくまれに、でも一定の確率でしっかりと起こりうるとある事象によって、僕の学びのスイッチがオフになってしまうことがある。その事象が起こったなら、僕のすべての集中力はそのことに向けられてしまい、気になりすぎてしまい、もう話を聞く体制ではなくなってしまうのだ。
その事象とは、マイクの「カラオケ持ち」である。
本来、天と地を指しているべきマイクが大地と平行に、寸分違わず水平に保たれている。黒人ヒップホップミュージシャンよろしくマイクの集音部は掌と指で力強く覆われ、あるいは往年の氷室京介さんよろしく5本の指で華麗に軽やかに躯体を支えながら、小指が自らの存在を主張するべく天空を仰ぎ見る…。
そう、まるでミュージシャンのようなマイクの持ち方で話をされると、僕はどうにも気になっちゃうのである。
その事象が起こると僕の学びの姿勢は消え失せ「この人、カラオケでどんなの歌うのかな…」「十八番(オハコ)はななんだろう…」「キーは高いのかな…」などと邪推の無限ループがはじまる。
その登壇者が、今の僕に絶対的に必要な教えを授けてくれようとしていても、世界中のあらゆる根深い問題を一息に解決する革命的なコアコンピタンスが提示されたとしても、僕はもうそれどころではなくなっている。こみ上げてくる笑いを必死にこらえてすらいるかもしれない。
セミナーなどで話をされる方は、当然集中力の大半をその講演内容に傾けることだろう。でもできることなら、容姿や仕草や話し方などによって、意図せずとも伝わってしまう「無意識の情報」にも気を配るべきではないかと思う。僕のような不躾な脱落者を不要に増やさないためにも。
前述したように「カラオケ持ち」を華麗にキメる登壇者は、一定の確率で存在すると推測する。まだ見ぬ彼らとの出会いを、それでも僕は少し楽しみにしている。