想いは伝わる。良くも悪くも。
先日、某大きな子供絵画コンクールの審査員をやらせていただいた。
審査員なんてもちろんはじめての経験だし、子供の絵を5000点以上も見まくるのもはじめてだし、おまけに「先生」などと呼ばれるのもはじめてだしで、僕にとってはとにかく新しい経験がぎゅっと詰まった3日間となった。
ある程度想像はついていたことだけど、子供たちの絵は本当に発想が豊かで、主催者側が提示したテーマに対して実にさまざまなアプローチが見られた。子供らしい作品がたくさんある一方で、子供らしからぬ画力で非常に高い完成度を誇る作品も中にはあり、唸らされる場面も多くあった。
そんな多種多様な力作たちを前に、はじめて審査員を務めた僕が自分のなかで設定した審査基準は大きく3つ。それは「コンセプト(テーマに沿っているか/何を美しいと感じ、どう表現しようとしているか)」「構図(限られた紙面のなかで主題となるモチーフをいかに配置しているか)」「色彩(目で捉えた色をどこまで忠実に表現しようとしているか)」で、あくまでも写真家としての目線で評価することとした。
…とは言いながら、3つの審査基準に照らせば明らかに選外となるような作品のなかにも「これは通過させてあげたいな」と思える作品がいくつもあった。例えばそれは、自分が美しいと感じたモチーフを真剣に観察し、なんとかそれを紙面に表現しようという強い想いを感じた作品や、「この子は本当に楽しみながら描いているんだな」としみじみ思える作品たち。画力うんぬんは抜きにして、そんな強い想いを特に感じられた作品については、迷わず「通過ボックス」に入れるようにした。
その反面、なかには先生や親御さんに言われて渋々描いているんだなと感じられる、言い方は悪いけど覇気も元気もない作品も散見され、見ていてちょっとさみしくなる場面もあった。
そう、3日間の審査員経験を通して僕が強く感じたことは「作品に込められた想いは、本当に見る人に伝わるんだな」ということだったかもしれない。
絵画でも写真でも、アートと呼ばれるものには製作者の想いが色濃く反映されるのだと改めて思う。それがポジティブな感情であろうとネガティブな感情であろうと、想いが濃ければ濃いほど、その作品は強く魅力的なものになる。
翻って自分の写真はどうだろうか、とも思う。無駄に積んでしまった経験だけでシャッターを切っていないか、常に新しい表現を求めているか、他人の評価ではなく自分の信じるものを大切にできているか。
審査員という立場ながら、子供たちの絵から多くの刺激と教訓を受け取ることができた3日間となった。