なぜ「お嬢さん」たちは、すれ違うときに傘を高々と掲げるのか。
僕の身長は、正確には179.8cmなのだが「身長は?」と聞かれた際には「180cmです!」と元気よく答えるようにしている。
一般的には「背の高い人」の部類に入ると思うのだが、だからどうという話ではない。
そして、そんな僕でも、雨の日には傘を使う。
コンビニで仕方なく買ったビニール傘を後生大事に使っている場合もあれば、それなりに見える傘を気分で持ち歩いていたりもする。特に大した話ではない。
さて、先日の雨の日のことだ。
そんな身長180cmの僕が、その日はそれなりに見える傘をさして、のんびりと歩いていた。某電鉄の線路脇、歩道の幅は1メートルくらいしかなかっただろう。
前方から、およそ50年前は花も恥じらう麗しき乙女であったであろう「お嬢さん」が、同じく傘をさしてやってきた。身長にしておよそ150cmといったところか。
彼女に対して特に恋心を抱いたわけでもない僕は、その他大勢の人に対してそうであるように、淡々とすれ違うのを待つだけだった。
その時だ。
その「お嬢さん」がすれ違いざま、あろうことか自らの傘を高々と上空へ掲げ、僕とすれ違う態勢に入ったのだ。
考えてもみてほしい。
僕らの身長差はおよそ30cm、仮にどちらかが傘を上げるのだとすれば、背の高い僕がやったほうが明らかに効率的だ。そして狭い歩道でのすれ違いなのだから、僕にその用意がなかったわけでは決してない。「お嬢さん」はあくまで自然な行為として、ありふれた日常のルーチンワークとして、自らの傘を率先して掲げたのだった。
「お嬢さん」の暴走行為によって、僕はどうなったか。ご想像のとおり、傘をできるだけ低くし、なんなら腰や膝を曲げてまで、「お嬢さん」の傘の下を大人として通り過ぎたのだ。
思えば、このような「事件」に遭遇したのは、今回が初めてではない。おそらく過去10回に迫る勢いで体験している。
なぜなのか。なぜ「お嬢さん」たちは、すれ違いざまに傘を高々と掲げるのか。一般的には「背の高い人」の部類に入る僕に対して。
この、答えは「お嬢さん」の心の闇の中にしかない疑問について、もやもやするのでいくつかの仮説を立てて検証してみる。
仮説(1) それは「やさしさ」なのだ。
決して悪意などではない。むしろすれ違いざまの、行きずりの僕に対して道を譲ってくれたかのごとく、精一杯の愛を持ってすれ違ってくれたのかもしれない。だとすれば僕は、なんて恥ずべき存在なのだろう。
仮説(2) それは「躾」なのだ。
かつての乙女とはいえ、「お嬢さん」は僕のような若造からすれば立派な、敬うべき年長者。年長者には道を譲るべきで、もっと言うと、こうやって「分かりやすく」道を譲るべきなのだという規範を示してくれたのかもしれない。だとすれば僕は、なんて世間知らずな存在なのだろう。
仮説(3) それは「恋」なのだ。
舞台は車の多く行き交う道の脇。身に危険を感じていた「お嬢さん」は、いわゆる「吊り橋効果」のような特殊な精神状態に陥っていた可能性もある。すれ違う若造に対して、これまた特殊な感情が瞬間的に湧き上がり「私はここよ」とアピールしていたのではないか。だとすれば僕は、乙女ゴコロの理解できない、なんてつまらない存在なのだろう。
すべての答えは「お嬢さん」の心のなか。僕はきっとこれからも「お嬢さん」の傘について思い悩みながら、人生を歩んでいくことになるのだろう。それなりに見える傘をさしながら。