写真は結局、確率論なんだと思う。
毎日のように写真を撮り続けていると、つくづく思うことがある。
それは、僕のように街スナップを標榜している人間にとっては、写真とは結局、確率論でしかない、ということだ。
例えば街に出て100回シャッターを切ると、そのなかに1枚、人に見せてもいいかな、というレベルのものが写っている。
同様に1000枚に1枚、作品として世に出せるレベルのものが写っている。
そして10000枚に1枚、自分の代表作と呼べそうな作品にめぐり会える。
もちろん数字どおりにうまくいくはずもないのだが、感覚的にはそのようなこととして捉えている。良い写真が撮りたければ、とにかくシャッターを切りまくらなければならない。
何年か前、とあるコンテストに応募するために、5日間の夏休みをすべて撮影に費やしたことがある。
その時は深夜の風景をシリーズとして作品化したかったため、5日間誰にも会わず、昼間に寝て、夜にもぞもぞと起きだして撮影に出かけるという、世にも哀れな生活を続けてみた。
当時はまだフィルムの一眼レフを使っていて、おそらく数十本単位のフィルムを消費したと思う。生活のすべてを撮影につぎ込み、とにかく枚数を稼いだ結果、数年たった今でも、自分の代表作と呼んでいい作品にめぐり会えたと思っている(冒頭の写真がソレ)。
これって結局、とも思う。
写真に限らず、続けることでしか手に入らないことってあるよなぁ、と。
そんなことを考えながら、今日も明日も、ゆるゆると撮りつづけようと思うわけであります。