アイデンティティとしての単焦点レンズ

僕は写真を撮る際、Nikonの50mm単焦点レンズをメインに使っている。いや、これしか使っていない、という方が正しいかもしれない。

おそらく10年くらい前、まだ僕がフィルムの一眼レフを使っていたころに、銀座の小さな中古カメラ屋さんで買ったものだ。

買った当時で値段は1万5千円くらい。製造年月日など詳しいことはわからないし、調べもしていない。

このレンズを通して何万枚もの写真を撮ってきたのだが、このレンズにはひとつの大きな欠点があると認識している。「キレイに写らない」という欠点だ。

一般的に、ズームレンズよりも単焦点レンズの方が、写りが良いと言われている。ズームレンズに比べて内部構造がシンプル(レンズの構成枚数が少ない)で、明るく撮れ、画像のゆがみが少ないことが所以だろう。それなのに僕のレンズときたら、背景のボケ具合はザラザラで、色の表現力もイマイチ。例えば雑誌などに掲載される高級ジュエリーの撮影などには決して向かないシロモノだ。

もっと高くて新しいレンズを使えば、一般受けするキレイな写真はいくらでも撮れるだろう。ボケ足の美しい写真は、見る人に直感的に「キレイだ」と印象付ける力がある。

ただ僕は、この「キレイに写らない」という欠点がけっこう気に入っている。もっと言うと、このレンズによってもたらされるザラザラなボケ足は、僕の写真のアイデンティティのひとつであると考えている。

「キレイな写真=良い写真」ではない。「キタナい写真=悪い写真」でもない。

写真家にとって喜ばしいのは、作家名を掲示しなくても、「これは〇〇さんの作品では」と想起してもらえることだろう。大切なのは「写真がキレイか」ではなく「作品に個性があるか」。

僕も当然人の子であり、カメラそのものも好きだから、新しい製品や評価の高い製品を目の当たりにすると、どうしようもなく心が揺さぶられる。

そこは作品のためと、ぐっとこらえて早10年。これからも、この出来の悪いレンズと、仲良くやっていきたいと思うわけで。