人は二度死ぬ

 

勉強不足で甚だ恐縮ではあるのだけど、昔の日本人(もしくはその一部)は「人は二度死ぬ」ものと考えていたらしい。

 

一度目は、肉体の死。
これは、うん、一般的な死という概念とイコールだろう。

二度目は、人の記憶からの死。
その人の存在が忘れ去られること。もしくはその人の存在を知っている人がゼロになるということ。

 

この二度目の死について考えると、なんだかとても切なくなってしまう。自分の存在を知っている人が誰もいなくなるということは、そもそも自分が存在すらしていなかったことに限りなく近い状態なのではないかと。まさにこれは死だ。残酷なまでの死だ。

 

それを考えると、自分の肉体が滅びたとしても、たまに自分のことを思い出してくれる、時には自分の死を惜しんで手を合わせてくれる、そんな人がいることの、なんと有難いことか。なんと報われることか。

 

同時に思う。人々の記憶に留まり続けるという点において、時代を超えて愛されるアートや文学や音楽などを生み出した人は、二度目の死とは無縁だろう。作品が、その製作者に代わって永遠に生き続けるのだ。

永遠に生き続ける肉体を手に入れてしまったなら、それは大いなる不幸と言えるかもしれないが、肉体の死後に作品たちが代わりに生き続けてくれるのなら、それはある意味で理想的な死と言えるのかもしれない。

 

さて、僕が生み出した作品たちはどうなのだろう。やがて来る僕の死はどのようなものになるのだろう。

 

深夜に文章を書いていると、ろくでもない方向に思考が飛んでいく。