「思考が現実化」したリアルな体験談

多くの自己啓発本に、自分の願望や目標を達成するための方法が記されている。

表現の違いや、そこに至るまでのプロセスに関しては様々だが、「目標を達成した時の自分を、できるだけ具体的にイメージする」ことが大切、という部分においては、どの本にも大差はないという印象を持っている。

例えば「5年後に1億円の資産を手に入れる」という目標を持った人がいるならば、そのお金をどのような状況で受け取るのか、その時の自分はどのような顔をしているのか、どんな気分がするのか、そして手に入れたお金に触れた手の感触にいたるまで、昼夜を問わず、ありありとイメージし続けることが大切なのだという。

なんだか下世話な例えにはなってしまったが、そういえば僕自身にも、ただのイメージだったものが、成果として具体化したという体験があったので、そのことを書いてみようと思う。

 

僕は2010年にCanonが主催するアマチュア写真家のためのコンテスト「キヤノン フォトコンテスト」で入賞を果たしている。当時、きちんとしたコンテストにきちんと応募したことのなかった僕は、新しいチャレンジとして、買ったばかりのNikon D700で撮った数枚の自信作をまとめて応募することにした。

コンテストに応募するという行為がはじめてだった当時の無邪気な僕は、受賞作品発表までの数週間、ワクワクドキドキの妄想の中で過ごした。当初は「グランプリとか獲っちゃったらどうしようかな」とか「賞金もらったら何に使おうかな」とか、何の具体性もないことを思い浮かべていただけなのだが、妄想が妄想を呼び、やがて下記のような具体的な状況を繰り返し思い浮かべるようになった。

 

平日の昼下がり、僕はオフィスでいつものように仕事をしている。

今日も、まあまあ忙しい。

そこへ突然、携帯電話に着信がある。

登録されていない番号だ。誰だろう。

忙しいのに、誰だよ。

無視しようかとも思ったけど、とりあえず出てみることにする。

「もしもし?」

「こちら、キノシタさんの携帯電話でよろしいでしょうか?」

「そうですけど?」

「私、キヤノンフォトコンテスト事務局の〇〇と申しまして…」

「!」

「このたびキノシタさんの作品が見事グランプリを獲得されまして…」

「!!!」

…電話を終えた僕は、一息ついた後、隣の席に座っている後輩君に話しかける。

「…とんでもないことが起きたぞ…!」

 

…という、文字に起こすほど恥ずかしい状況を、恥ずかしげもなくイメージし続けたのだ。それも、移動中の電車の中でも、ベッドに入ってから眠りに落ちるまでも、とにかく昼夜を問わずに。

だが人間とは飽きっぽいもので、やがてそんなアホな妄想も、いや、コンテストに応募したことすら、うっすらと忘れつつ、仕事に追われる日常が戻ってきた。

 

そして数週間が過ぎた、とある平日の昼下がり。

僕はオフィスでいつものように仕事をしていた。

その日もまあまあ忙しかったと記憶しているが、突然、携帯電話に着信があった。

登録されていない番号からの着信、無視しようかとも思ったが出てみることにした。

「もしもし?」

「こちら、キノシタさんの携帯電話でよろしいでしょうか?」

「そうですけど?」

「私、キヤノンフォトコンテスト事務局の〇〇と申しまして…」

「!!!」

 

まさに、思考が現実化した瞬間だった。受賞の知らせと思考の現実化。ダブルの驚きで僕の言動は相当にアヤシイものになっていただろう。だがとにかく、僕が目標として掲げ、その実現を強く願ったことが、実際に僕の身に起こったのだった。

 

だが世界とは、現実とは良くできているもので、正確には僕が妄想したことが、すべて実現したのではなかった。

僕は賞の頂点であるグランプリを望んだのだけれど、実際は賞の中では一番下のランクである「入賞」であった。それから事務局からの電話は、受賞を知らせるためのものではなく「数日前に封書で受賞の知らせを送っており、その中に写真の実データを送るよう書いているのだが、まだ送られてきていない。どうなっているのか」という旨のものだった(自堕落な一人暮らしを続けていた僕には、郵便受けを確認するという習慣などなかった)。

そういえば、とある自己啓発本には、このようにも書かれていた。
「繰り返しイメージされた願望はやがて潜在意識に定着し、潜在意識は《最も現実的な方法》で願望を実現させる。」

なるほど、言い得て妙なり。
当時の僕の実力では(今もそうかも知れないけど)入賞くらいが《最も現実的》であり、
自堕落な一人暮らしを続けていた僕などには、電話で軽くお叱りを受けるくらいが《最も現実的》だったのだろう。

 

以上が、僕の身に起こった「思考が現実化」したリアルな体験談。

当時の僕は、思考を現実化させるための手法などについて何の知識も持ちあわせておらず、ただ純粋にコンテンストでの受賞を願っていたにすぎなかった。それだけに、相当な強さを持って思いを巡らせることができたのだと思う。そのことはきっと、願望や目標の現実化を願うなら、大前提として、願望や目標への純粋で強い思いが必要であることの証左なのだろう。

それから、自堕落な一人暮らしをしている人には「郵便受けを毎日チェックする」という大前提も必要なのかもしれない。

 

※ちなみに冒頭の写真が「キヤノンフォトコンテスト2010」にて入賞した作品。タイトルは「深紅」。