自分の中の「得体の知れない何か」を確認する作業。

このタイトルは、僕がかつて運営していた無料ブログのサブタイトルとして使っていた言葉。

僕が写真を撮ったり言葉を綴るにあたり、その活動の原点というか、根源的なモチベーションとなっているものについて書いたもので、発信するメディアは変わっても、この言葉に込めた思いは今も変わらずにいる。

そしてこれは、僕が写真や言葉、あるいはクリエイティブ系の仕事を志すようになった最大の理由と言ってもいい。

 

僕は幼少の頃から「自分って何なのか」「自分はどこから来て、どこへ行ってしまうのか」ということについて、けっこう良く考えてきたように思う。例えば今、自分の目を通して世界を見ているけれど、この視界は僕が生まれる前には存在しなかったものだし、僕が死んでしまったらきっとまた存在しなくなるものだ。これって何なのだろう。僕は今確かにここにいて、意識があって視界があるのに、これはかつては存在しなかったし、やがて存在しなくなるなんて。

「無から生まれて無に還るんだ」と言われてもピンと来ないし、「輪廻転生でかつては別の生き物だったし、さらに別の生き物に生まれ変わるんだ」と言われても腑に落ちない。

 

正確な答えなど得られるはずもないまま、今もこうやって生きているのだけれど、その過程で必然的に沸き起こった感情として「自分って何なのか」の答えに少しでも近づきたい、というのがあった。そのためには、自分の中に埋もれているものを、洗いざらい表にさらけ出す必要があるんじゃないかと。そして辿り着いたのが、写真や言葉などの表現であり、クリエイティブ系の仕事だった。

アートやクリエイティブという媒体を通じて、自分の中にある「得体の知れない何か」を発信し続けることで「自分って何なのか」が少しでも理解できるようになるのではないか、そう考えたのだ。

 

あくまで独学ながらきちんと写真を撮り始めて10年くらい、クリエイティブ系の仕事を始めて15年くらい、そして僕は間もなく40歳になるのだけれど、アートにおいても仕事においても、残念ながら大きな功績を残せているとは言えないし、幼少の頃からの疑問に対しては答えの片鱗すらつかめていない。

それでもきっと、これからも同じ気持ちのまま、同じ活動を続けていくのだと思う。

 

願わくば、せめて死の床で「あ、そうか」と思えるように。