撮りたい写真が撮れるなら、機材は何だって良い。

このサイトを見ていただければ判るとおり、僕は写真を撮ることをライフワークとしている。

僕がメインで使っているカメラは、数年前に清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったNikonのD700。そしてレンズには、これまた家宝にでもなりそうなCarl ZeissのPlanar T* 1.4/50 ZF.2を使用している。詳しい人ならわかると思うが、僕は今までに、カメラとレンズを合わせて「それなりの金額」を投下してきた。

 

と、そんなことをエラそうに書いておきながら告白すると、実は僕は、カメラにちっとも詳しくない。

 

カメラのメジャーブランドや業界の動向のことなどちっとも知らないし、センサーの大きさによって写りにどんな差がでるのかとかちっとも知らないし、レンズとセンサーの組み合わせによって画角にどんな違いが出るのかとかちっとも知らない。正確には、知ろうとしたことすらない。

 

なぜなら僕の基本スタンスとして「撮りたい写真が撮れるなら、機材は何でも良い」というのがあるからだ。自分が撮りたい写真を追い求めた結果として、上述のカメラとレンズの組み合わせに流れ着いただけであって、別にコレでなければいけないというこだわりはない。自分が撮りたい写真が撮れるのであれば「写ルンです」を使っても良いとすら思う(実際には無理なので仕方ないのだが)。

 

つまり僕にとって、優先すべきは写真(作品)なのであって、機材はあくまで代替可能な手段でしかない。撮りたいものが変化してきたのなら、それに合わせて新しい機材を追加したり、新しい知識を吸収すれば良いと思っている。

 

実はここ数日の間に自分の作品と深く向き合ってみた結果、今後数ヶ月は新しい方向性の作品を追い求めてみたいと思うようになった。そのために「それなりの金額」を投下して手に入れたCarl Zeiss Planar T* 1.4/50 ZF.2には、棚の中でお休みしてもらうことになる。

 

これをもったいないと思うか、必要なことと思うか。僕は明らかに後者の考えを持って活動している。